数学とは抽象である:ケーニヒスベルクの橋
2010年 07月 05日
数学は抽象だということは以前からなんやかんやで読んだことがありますが、、私がなるほどと思ったのはケーニヒスベルクの橋渡りの問題を思い出してからです。どのような問題化は後で書きますが、これを解いた人はケーニヒスベルクそのものではなく、右の図形で考えたのです
<ケーニヒスベルクの橋>図1
左:現在のケーニヒスベルクの写真 右:モデル化したもの
(橋の配置は往時にあわせて加工)
これで分かった人はこの後を読まなくても大丈夫です。
ではここでケーニヒスベルクの橋渡りの問題について
納得いかない人のために、段階を追って抽象化していきます。
まず全く抽象化されていないのが下の写真、現実のケーニヒスベルクです。橋の配置は(以下略)。
とてもごちゃごちゃしています。
問題に関係ない部分は省いてしまいましょう。橋、陸、川が分かるようにして後は省略します。各部分の長さや曲がり具合も気にしないことにします。↓
さらにこれを、濃い実線部分のように単純化することができます。陸地に面積があることさえ最後には無視してやりました。↓
というわけで、私の場合はこんなことを考えて「数学は抽象である」ことを感じたというお話でした。
<ケーニヒスベルクの橋>図1
左:現在のケーニヒスベルクの写真 右:モデル化したもの
(橋の配置は往時にあわせて加工)
これで分かった人はこの後を読まなくても大丈夫です。
ではここでケーニヒスベルクの橋渡りの問題について
むかしむかし、ある国にケーニヒスベルクという古い街がありました。街の真ん中を川が流れていて、街は4つに分かれていました。この4つの部分の間には、あわせて7つの橋がかかっていました。 (図中赤い所)
図2
あるとき、こんなことを言いだした人がいました。
「同じ橋は一遍しか通らないで、全部の橋を一遍ずつ渡るように、町を散歩できるかだろうか」
おもしろいと思った街の人はいろいろと試してみましたが、誰にできませんでした。その様子を見ていたとんち小僧さん(嘘)はこう言いました。
「やみくもに歩き廻ったって解けやしないよ」。
小僧さんは橋渡りの問題が
を一筆書きできるかという問題と≪ある意味同じ≫であることに気づきました。そうして、この図形が一筆書きできないことを証明するという方法で、元の問題にけりをつけました。小僧さんの智恵に周りの人はびっくり仰天し、小僧さんは歴史に名を残しました。
とっぴんぱらりのぷぅ。
図2
あるとき、こんなことを言いだした人がいました。
「同じ橋は一遍しか通らないで、全部の橋を一遍ずつ渡るように、町を散歩できるかだろうか」
おもしろいと思った街の人はいろいろと試してみましたが、誰にできませんでした。その様子を見ていたとんち小僧さん(嘘)はこう言いました。
「やみくもに歩き廻ったって解けやしないよ」。
小僧さんは橋渡りの問題が
を一筆書きできるかという問題と≪ある意味同じ≫であることに気づきました。そうして、この図形が一筆書きできないことを証明するという方法で、元の問題にけりをつけました。小僧さんの智恵に周りの人はびっくり仰天し、小僧さんは歴史に名を残しました。
とっぴんぱらりのぷぅ。
納得いかない人のために、段階を追って抽象化していきます。
まず全く抽象化されていないのが下の写真、現実のケーニヒスベルクです。橋の配置は(以下略)。
とてもごちゃごちゃしています。
問題に関係ない部分は省いてしまいましょう。橋、陸、川が分かるようにして後は省略します。各部分の長さや曲がり具合も気にしないことにします。↓
さらにこれを、濃い実線部分のように単純化することができます。陸地に面積があることさえ最後には無視してやりました。↓
というわけで、私の場合はこんなことを考えて「数学は抽象である」ことを感じたというお話でした。
by myano11
| 2010-07-05 23:16
| 数学