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自殺を論ず1

老子だか荘子だかにこんな会話がある。
「生は死とたいして違わないんじゃよ」
「ではなぜ死なないのですか」
「それは死は生と大して違わないからじゃよ」
最初聞いたときは屁理屈としか思えなかったが、案外、意味のあることかもしれないと思うようになった。




ここに生きることがつらくて死にたい人がいるとする。
「私のことを覚えておいて」と思って死んでもすぐ忘れられるものである
「俺につらく当たったことを悔いろ」と思って死んでも、誰も悔いないものである。
「僕のつらい気持ちをわかって」と思って死んでも、誰もわからないものである。
このようなことを考えるのは、死ぬことにロマンチックな期待を抱きすぎである。

かつてSという少年が学校でのいじめに耐えかねて自殺した。
「このままじゃ、生き地獄になっちゃうよ」
という遺書を遺して。その数日後、同じ学校のいじめっ子が、いじめを続けていることが発覚した。
「お前はS二世だ。自殺しろ」
そのことを新聞記事で読んで、当時の私は、ああ世の中はそういうものなのだと理解した。
Ces't la vie. (それが人生さ)
「生き地獄」はその年の流行語にもなった。たくさんの人が軽い気持ちでこの言葉を口にしただろう。
Tres bien!

あくまで例としてだが、私が死ぬとすれば何人かの人は悲しむだろう。何百人かの人は好意的でない感想を抱くだろう「ざまあみろ」「勝手だ」「死んで当然だ」「所詮弱かったんだよ」。だが確かに言えることは、圧倒的多数は何とも思わず、何事もなかったように世の中は動いていくということだ。それは悔しい。せめて私が死んで喜ぶ人が60億人いれば死に甲斐あるというものだが。その場合、「60億人の願いをかなえた人物」として、世界史の教科書にでも載せてくれたまえ。要は死ぬことはそんなにロマンチックではないということだ。

ただし、自殺予防の啓発活動として、自殺死体のむごさや醜さを宣伝するのは何かピンとこない。「美しい死体」というロマンチックな考えを粉砕しようという意図はわかる。だが、私くらいになると(?)毒で死んだら変色するとか、死体が腐乱したらどうなるということは、知っていてもどうでもいいことである。どうせもう死んでいるのだし(^^)。



ブログの内容が薄いので、これまで封印してきたネタをいくつか書こうと思います。今回がその第1回目です。以前書こうとしたときには自分自身に余裕も精神の安定もなく、非常に病的な文章になったので封印したのですが、今回うまく書けますかどうか。
Adios! and 再見!
by myano11 | 2010-01-03 23:15 | えせエッセイ

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by Linus
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